気が付けば「友だち」
- 2015/09/15
- 19:32
「今日は公園で自由に遊んでいいよ」
本日は公園で遊ぼうプログラムです。
自分たちだけでも公園で遊ぶことはできる。
じゃあ学舎で公園遊びだとなにが学べるのか?


学舎の子どもたちで行く公園は一味も二味も違います。
友だちがいればいるほど遊びのプログラムは増えていく。
ブランコやシーソー、滑り台。友だちと一緒だと楽しいね。

とここまでは、予想していた光景の数々。
しかし、
ここからは私も驚きました。
そして、鬼ごっこやドッチボール。
あれ?このボールは誰の?
近所の子どもたちです。
「一緒に遊ぼう」なんて言葉をかけていないのに、一緒に遊んでいます。
最初は公園に学舎以外は3人くらいしかいなかったのに、気が付けばドッチボールは半分以上学舎ではない子。
鬼ごっこも同様。
「先生一緒に遊ぼう」
学舎ではない子にも先生と呼ばれ、20人くらいと一緒に遊んでいました。
これがすごいところです。知らない子でも関係なし。
「遊びたい」という目的だけで、これだけ一緒に遊ぶことができる。
子どもたちだけで遊ぶのも大切だけど、一人大人がいると、子どもたちは大人への期待がにじみ出ていることがわかりました。
子どもたちだけで遊ぶのかと思いきや
「先生。先生」と呼ばれてそんなことを思いました。
「気が付けば」
今日はこのフレーズにつきました。
なんと1年生から5年生の子どもたち20人くらいで遊んでいたんです。
1時間遊びましたが、遊び足らない子どもたち。
こういった「群れ遊び」の時間ってあるようでないんですね。
ちょっとこのプログラム増やそうかなと思いました。
今日の自分新聞で
「公園でドッチボールをしました。知らない友だちでした。一緒に遊んだから友だちになりました。友だちが増えて嬉しいです」
と書いてありました。
なんて素敵な文章でしょうか。
勉強でもふしぎ発見でもない、人としての基本を学んだように感じます。
人とかかわる力です。
学舎の子どもたちはいつのまにか誰とでも気軽に会話し、一緒に遊べるようになったのだと嬉しかったときでもありました。
子どもたちにどんなことが必要なのか。
どんなことを求めているのか。
改めて考えさせられました。
本日は公園で遊ぼうプログラムです。
自分たちだけでも公園で遊ぶことはできる。
じゃあ学舎で公園遊びだとなにが学べるのか?


学舎の子どもたちで行く公園は一味も二味も違います。
友だちがいればいるほど遊びのプログラムは増えていく。
ブランコやシーソー、滑り台。友だちと一緒だと楽しいね。

とここまでは、予想していた光景の数々。
しかし、
ここからは私も驚きました。
そして、鬼ごっこやドッチボール。
あれ?このボールは誰の?
近所の子どもたちです。
「一緒に遊ぼう」なんて言葉をかけていないのに、一緒に遊んでいます。
最初は公園に学舎以外は3人くらいしかいなかったのに、気が付けばドッチボールは半分以上学舎ではない子。
鬼ごっこも同様。
「先生一緒に遊ぼう」
学舎ではない子にも先生と呼ばれ、20人くらいと一緒に遊んでいました。
これがすごいところです。知らない子でも関係なし。
「遊びたい」という目的だけで、これだけ一緒に遊ぶことができる。
子どもたちだけで遊ぶのも大切だけど、一人大人がいると、子どもたちは大人への期待がにじみ出ていることがわかりました。
子どもたちだけで遊ぶのかと思いきや
「先生。先生」と呼ばれてそんなことを思いました。
「気が付けば」
今日はこのフレーズにつきました。
なんと1年生から5年生の子どもたち20人くらいで遊んでいたんです。
1時間遊びましたが、遊び足らない子どもたち。
こういった「群れ遊び」の時間ってあるようでないんですね。
ちょっとこのプログラム増やそうかなと思いました。
今日の自分新聞で
「公園でドッチボールをしました。知らない友だちでした。一緒に遊んだから友だちになりました。友だちが増えて嬉しいです」
と書いてありました。
なんて素敵な文章でしょうか。
勉強でもふしぎ発見でもない、人としての基本を学んだように感じます。
人とかかわる力です。
学舎の子どもたちはいつのまにか誰とでも気軽に会話し、一緒に遊べるようになったのだと嬉しかったときでもありました。
子どもたちにどんなことが必要なのか。
どんなことを求めているのか。
改めて考えさせられました。