サニーレタスプラスα
- 2015/11/18
- 22:18
「サニーレタスがおいしかった」
「絶品だった」
「サラダにした」
「お肉をまいて食べた」
「お母さん喜んでいた」
という言葉を、聞かなくても子どもたちから嬉しそうに話してきます。
驚きました。
幼稚園時代にじゃがいもを持ち帰ることがありましたが、教師から聞かないとじゃがいもの味がどうだったかというのは耳にしなかったのが正直なところです。
よっぽど嬉しかったのでしょう。
きっとこの喜びを「伝えたい」という気持ちになるんでしょう。
自分も嬉しかった。でも先生にも喜んでほしい。
こういった「伝える」ということは、普段取り組んでいる「自分新聞」からつながった活動だと思います。
ところで、サニーレタスを収穫したときのみんなの新聞を見せてもらいました。
するとそこには
「おかあさんへ サニーレタスを収穫したよ。 お母さんにプレゼントするね。 みんなで美味しく食べようね」

ただ収穫したサニーレタスを渡すだけでも気持ちは伝わると思いますが、この手紙(新聞)が添えられているだけでぐっと気持ちの伝わり方が違うのではないでしょうか。こういったことができるのが学舎の子どもたちだと思います。
「絶品だった」
「サラダにした」
「お肉をまいて食べた」
「お母さん喜んでいた」
という言葉を、聞かなくても子どもたちから嬉しそうに話してきます。
驚きました。
幼稚園時代にじゃがいもを持ち帰ることがありましたが、教師から聞かないとじゃがいもの味がどうだったかというのは耳にしなかったのが正直なところです。
よっぽど嬉しかったのでしょう。
きっとこの喜びを「伝えたい」という気持ちになるんでしょう。
自分も嬉しかった。でも先生にも喜んでほしい。
こういった「伝える」ということは、普段取り組んでいる「自分新聞」からつながった活動だと思います。
ところで、サニーレタスを収穫したときのみんなの新聞を見せてもらいました。
するとそこには
「おかあさんへ サニーレタスを収穫したよ。 お母さんにプレゼントするね。 みんなで美味しく食べようね」

ただ収穫したサニーレタスを渡すだけでも気持ちは伝わると思いますが、この手紙(新聞)が添えられているだけでぐっと気持ちの伝わり方が違うのではないでしょうか。こういったことができるのが学舎の子どもたちだと思います。